からたち雑記帳

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初対面で聞かれると困ることー妹の話

知り合ったばかりの人に、きょうだいがいるか聞かれるとちょっと困る。私には妹がいたけど、彼女が20歳、私が23歳のときに亡くなったからだ。

正確に答えるなら「いたけど死んでしまいました」だけど、そう言ったときにその場の雰囲気が重くなったり、聞いてきた人に謝られたりしたら…想像するだけでいたたまれない。

それに、「亡くなった」とか「死んだ」とか、ちょっとした雑談には重い言葉だ。

だから、いつも「きょうだいはいません」と答える。

すると、その後ちょっとずつ嘘をつくことになる。仕事の関係者であっても長くつきあっていると、子ども時代にしていた遊びとか、親に買ってもらったものとか、そういう話題が会話に上ることがあるからだ。

家ではよく2人で遊んだし(かなりの確率でケンカになった)、小学校低学年くらいまでは私が友達と遊ぶときも妹が着いてくることが多かった。家族旅行では姉妹セットで行動した。何なら中学3年のときに私が所属していた演劇部に妹が入部してきたし、高校も同じだった。

十代のころの記憶には、だいたい妹が映り込んでる。

実際のところ、詳細なエピソードトークをするのでなければ、妹の存在を隠そうが隠さまいが、話の内容はたいして変わらない。でも自分の中では、妹の姿にモザイクをかけて記憶を再構成しているような気分になってしまう。

なつかしいおもちゃやゲームの話題でも口ごもる。ゲームソフトはお互いが買ってもらったのを貸し借りしていたし、私は持ってないけど妹が持っていたから、たまごっちあるあるがちょっとわかる。

ようは、私が一人っ子だった場合の二倍のおもちゃに触れていたことになるので、我が家が実際よりも裕福だと思われたらどうしよう、と心配しているのである。

誰もそんなこと思わないだろうけど。

 

自分でもよくわからない。別に一言「妹がいたけど亡くなったんです」と言うくらいなんてことないはずなのだ。その場が一瞬気まずくなるくらいで、大多数の大人はそれ以上深掘りしないだろう。

妹が死んで9年が過ぎたけど、「亡くなった」という言葉に乗っかるであろう、自分の気持ちを上手に掴みきれずにいる。

 

ちなみに、私は自分のことには神経質なのに、他人に対しては無神経だ。

知り合ったばかりの人に両親と一緒に住んでいるのか質問したら、最近離婚したという答えが返ってきたとき、しまったと思った。自分は家族のことを聞かれるのが嫌なのに、相手のプライベートな事情に踏み込んでしまったと反省した。

その質問が当人の気分を害したのかはわからないけれど、少なくとも、その答えを聞いて慌てるくらいなら聞かなければいいのだ。

だから、私は家族の話題は自分から振らないようにしている。