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【ネタバレ】小説『プロジェクト・ヘイル・メアリー』感想文

【読んだ本】

アンディ・ウィアー著/小野田和子訳『プロジェクト・ヘイル・メアリー』上・下(早川書房、2021年初版発行)

※注意※この記事は、ほぼ全編にわたって小説『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のネタバレをしています!問題なければスクロールをお願いします。

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この作品は、「英雄」が自分を取り戻す話だと思う。

もう少し詳しく書くと、「自分を何のためにどう使うか」イコール「自分は何者でありたいか」という問いに対する答えを、主人公がつかみ取る物語だ。

 

この物語は、主人公が自分が誰かも、今どこにいるのかもわからない状態で始まる。

彼は自分が置かれた状況を一つ一つ理解し、記憶をたどることで、自分が人類を救うためにヘイル・メアリー号という宇宙船に搭乗している、「勇敢な」人間であることを把握していく。

 

ヘイル・メアリー号の機能やアストロファージのこと、地球の状況についての記憶は、グレースが目の前の事態に対処する中で明らかになっていく。ミッション遂行に必要な知識や技術は彼自身に染みついている。一方で、彼がヘイル・メアリーに搭乗した「勇敢さ」の理由はなかなか明らかにされない。

けれども、ヘイル・メアリー号に乗っているという事実が、彼がクルーにふさわしい勇敢さや意思を持っていることの証拠となるはずだった。

 

ヘイル・メアリー号に乗れば英雄になることはほぼ決定している。

彼は人類を救う希望を賭けた、決死のミッションに志願したクルーだ。

ミッションの失敗は許されず、成功の可能性を限りなく上げるだけの準備を行った。

だから、グレースは自分がヘイル・メアリー号に乗っているという状況証拠をもとに、自分が英雄たり得る人物であると理解したのだ。

「自分は誰か」を思い出せない中で、自分が勇敢な人物であるという「事実」は彼のよりどころの一つとなった。

 

それゆえ、自分は「英雄」であるための「勇敢さ」を実はもっていなかったということを知る瞬間が、グレースを最も動揺させる。

 

グレースは薬の効果で、無理矢理船に乗せられたことを忘れることができていた。

自分がその任務に当たるにふさわしい人間であると信じるためには、結果的に自身の臆病さを忘れている必要があった、と思う(死が確定しているミッションを拒むことを「臆病」というのは厳しすぎるけれど)。

 

多くの人にとって、自分自身の判断と行動の積み重ねが、今後の課題を乗り切る自信と見通しになる。同時に、それは何かを決断するときのブレーキにもなる。

私は過去の自分が逃げたことや失敗したことを覚えているから、何か新しいことに取り組むときは常に不安を抱えている。不安を生み出し続ける自分自身を忘れることはできない。だから、ヘイル・メアリー号に搭乗した成り行きを忘れていたことは、グレースにとって幸運だったと思った。

 

一方で、人は自分の失敗や臆病さを知りながらなお「それでも」と決めた勇気を足場にして次の一歩を踏み出すこともできるはずで、グレースは「決死のミッションに志願した自分の勇敢さ」をよりどころにしていた。

 

グレースがヘイル・メアリー号に搭乗することになる経緯は、物語が進むにつれて徐々に明らかになる。そして、決死のミッションに赴くことを、彼がどのように受け止めていたのかということも。読み進めながら、一体グレースはなぜ今ヘイル・メアリー号に乗っているのだろう…という疑問が湧いてくる。全然乗る気なさそうなのに。

 

グレースはクルーの選抜について、絶対に死ぬとわかっている任務に志願する人間がどれほどいるのか疑問を持っていた。そして志願者と対面した後も、彼らが自分の命を賭けるという事実をこの上なく重く受け止めていた。自分には想像もつかないことだと。

つまり、彼は自分の役割は命を捨てることではないと確信していた。自分はそんな決断をする人間ではないと自分自身を理解していた。

それなのに、自分の命を捨てるという決定を、自分自身で行うことができなかった。

 

繰り返しになるが、この物語は、「自分を何のためにどう使うか」=「自分は何者でありたいか」ということを問うているのだと思う。そしてグレースはその答えを体現する。 

少し話はそれるけど、私は自己犠牲を称揚するのはよくないことだと思っている。けれども、人は生活の中で誰かのために自分の労力を使うことが大なり小なりある。たとえば、見知らぬ人の落とし物を拾うようなちょっとした人助けはもちろん、仕事も、自分の時間や労働力を自分以外の何かのために使うことだといえる(仕事はその引き換えに賃金を受け取れるが)。

 

ヘイル・メアリー号打ち上げまで、彼は自分の能力や経験や時間や労力のほぼ全てを費やしてプロジェクトに携わっていた。命を捨てない範囲で。

それは、教え子の未来や、科学者としての能力や経歴を生かすことへの使命感や好奇心…彼自身のアイデンティティを構成する様々な要素をもとに為された選択の結果だった。

しかし最後の最後に、自分自身の意思とは完全に反する形で、命を捨てることが確定されてしまった。つまり自分が自分であることを放棄させられた状態になったといえる。

 

彼の最も大きな決断――ヘイル・メアリー号に乗って地球に帰るのではなく、タウメーバに侵されたロッキーの元へ向かい帰還の可能性を捨てることを選ぶには、自分の全てを知っていなければならなかったのだと思う。友人や教え子、そして自分の命が大事な人間であり、人類のために死を決意する人間ではないということを。

 

グレースは命がけのミッションに赴き人類を救った「英雄」だけど、彼が「死んでも構わない」と自分の意思で決めたのは、人類のためではなく異星の友のためだった。

グレースとロッキーが別れるまで、彼らがいかに親友となったのかがつぶさに描かれる。お互いの生態、言語、文化や習慣を知る努力を重ね、同じ目的のために技術や知識を共有し、危険に直面したときは命を救い合った。グレースにとってロッキーは唯一無二の親友で、自分自身を生かした支えそのものだった。

地球に生還できる可能性を捨てて、ロッキーが搭乗するブリップAに向かうという選択は、グレースにとっては限りなく「自分のため」に近い「他者のため」になされた。

そのことで彼は自分自身を取り戻したのだと思う。

彼は、「自分が何のために何を使うのか」=「自分は何者でありたいか」という問いに、「英雄」ではなく、「ロッキーの友人」であるという答えを得た。

 

 

読み終えたとき、行き届いた作品だなと思った。ヒーローが、これまでの選択や行動を肯定し、自分自身の大切にしたいものを捨てずに生き続けるというエンディングは、読者である私を安心させてくれた。

余談だが、私はマーベルのヒーロー映画が好きだ(ここ1、2年のドラマと映画はあまり観られていないけれど)。危険を顧みず自身を犠牲にして市民を助ける姿に興奮し、信念や正義と自分の心や生活の狭間で葛藤する姿に涙してきた。

ヒーロー達への愛着を育てると同時に、自己犠牲のドラマを楽しむことへ罪悪感も持つようになった。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』はそんな薄っぺらな罪悪感を後生大事に持っている読者にも優しい物語だった。

 

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